正史『先主伝(劉備伝)』 1 生まれ、先祖について

本文訳

先主は姓を劉(りゅう)、諱(いみな。下の名)を備(び)、字(あざな)を玄徳(げんとく)といった。
涿郡涿県(現在の河北省保定市)の人で、漢の景帝の子、中山靖王(ちゅうざんせいおう)劉勝(りゅうしょう)の後裔(子孫)である。
劉勝の子の貞が、元狩六年(紀元前117)に涿県の陸城亭候の爵位を受けたが、納めるべき酎金を納めなかったので位を失い、そのままこの地に住んだ。
先主の祖父は雄、父は弘といい、代々州郡に仕えた。雄は孝廉に推挙され、官位は東郡の范令となった。

解説

蜀漢の初代皇帝、劉備については『先主伝』という題が付けられています。
以降、劉備については「先主」と表記されます。

小説やマンガの表現によって劉備は「名もなき庶民の生まれ」というイメージが浸透しています。しかし実は地方の小豪族とも呼べる家柄出身。ここに書かれている通り、祖父は范という県の知事を勤め、父親の弘も役人でした。(後に説明される通り、父親は備の幼い頃に亡くなったため、備が貧しい生活を強いられたことは確かのようですが)

「中山靖王劉勝の後裔」、つまり漢の高祖・劉邦の血を持つという有名な話について。
むしろこちらのほうをフィクションの作り話だと思っている人が多いのですが、少なくとも民間伝承などではなく、この通り史書に記された話だということになります。
裴松之の注『典略』に系譜が載せられており、劉備は勝の子孫のうち、臨邑侯(劉復)の血統とされます。