目次

ご案内【目次、ご利用について】

解説・この翻訳の使い方 蜀志   魏志 この翻訳の使い方 三国時代の正統な史書とされる陳寿著『三国志(三国書)』を、現代日本語でわかりやすく訳し、ネット上に公開していく試みです。どこまで翻訳できるか分かりませんが、少しずつ上げていきます。気長にお付き合いください。 ...

現代 諸葛亮 世間話

諸葛亮は、現代中国人(一般人)にはどう思われているか?

 中国在住の方より、現代人の諸葛亮評価について情報をいただきました。ここにご報告致します。 本題の前に現状解説から。 →前置きを飛ばして本題、「現代中国人の評価」へ飛ぶ 日本における諸葛亮評 昨今の日本ではアンチの悪口の的となり、極めて低い評価で語られている諸葛...

諸葛亮 蜀志

正史『諸葛亮伝』2 少年期~青年期

正史 目次へ 本文訳 (養父の)諸葛玄が死ぬと、亮は農作をして自給自足で暮らした。※1 この頃、亮は『梁父の吟(りょうほのぎん)』という歌を好んで歌っていた。※2 亮の身長は八尺(184センチ)※3、つねに自分を管仲・楽毅※4 になぞらえていたが、当時彼の周囲にいた...

曹操 魏志

正史『武帝紀(曹操)』1 生まれ~少年期

正史 目次へ 本文訳 太祖武皇帝(曹操のこと)は、沛国譙県(現在の安徽省亳州市譙城区)の人である。姓は曹、諱(いみな)は操、字(あざな)は孟徳という。 (曹家は)漢で相国を勤めた参の子孫。桓帝の時代に(曹操の祖父に当たる)曹騰は中常侍・大長秋となり、費亭候に封ぜられた...

諸葛亮 蜀志

正史『諸葛亮伝』1 生まれ、幼少期

正史 目次へ 本文訳 諸葛亮は字(あざな)を孔明といい、(徐州の)琅邪郡陽都の人で、漢の時代(前漢)に司隷校尉となった諸葛豊の子孫である。 父は名を珪といい、字は君貢、後漢の末期に太山郡の丞を勤めた。珪は亮が幼いときに世を去った。 その頃、叔父の玄が袁術の所管する予...

劉備 蜀志

正史『先主伝(劉備伝)』 3 黄巾の乱、義兵として名を上げる

正史 目次へ 本文訳 霊帝時代の末、黄巾の乱が起きた。※1 この反乱を鎮めるために、州や郡はおのおの義兵(義勇兵。大義のためにみずから志願する民間兵)を募った。 先主は豪商の出資金で集めた仲間を率いて義兵として立ち、校尉の鄒靖のもとで戦った。 この戦闘で活躍し功績...

劉備 蜀志

正史『先主伝(劉備伝)』 2 少年期~青年期

正史 目次へ 本文訳 先主は幼くして父を失ってから、母と草履を売り、蓆(むしろ)を織って生活の糧としていた。 (劉備が少年期を過ごした)家の東南角の垣根の上に(覆い被さるように)桑の大木があった。高さは五丈余りもあり、遠くから見ると葉が生い茂って位の高い人が乗る車の...

劉備 蜀志

正史『先主伝(劉備伝)』 1 生まれ、先祖について

正史 目次へ 本文訳 先主は姓を劉、諱(いみな。下の名)を備、字(あざな)を玄徳といった。 涿郡涿県(現在の河北省保定市)の人で、漢の景帝の子、中山靖王劉勝の後裔(子孫)である。 劉勝の子の貞が、元狩六年(紀元前117)に涿県の陸城亭候の爵位を受けたが、納めるべき酎金...