陳寿著『三国志(正史)』を日本語訳し、ネット上に公開する試みです。蜀志から少しずつ始めています。
2035-02-02T15:22:00+09:00 2021-09-20T02:22:30Z
目次
三国時代の正統な史書とされる陳寿著『三国志(三国書)』を、現代日本語でわかりやすく訳しネット上に公開していく試みです。 ※2021年9月お知らせ 別館ブログを優先するため、 ここは更新中止 致します。正史の記述に基づく人物紹介は、別館にて初心者の方向けに分かりやすく書いて...
2020-04-13T23:28:00+09:00 2020-04-25T01:24:14Z
曹操 魏志
本文訳 しばらくして冀州(きしゅう)の刺史・王芬(おうふん)や南陽(なんよう)の許攸(きょゆう)、沛(はい)国の周旌(しゅうせい)などが各地の豪族へ呼びかけ、「霊帝をその地位から引きずり下ろし、代わりに合肥候という皇族を皇帝として擁立する」との謀を企てた。太祖(曹操) ...
2020-04-13T14:44:00+09:00 2020-04-22T13:35:56Z
劉備 蜀志
本文訳 先主(劉備)が徐州を引き受けたという知らせを聞いた袁術は、さっそく攻撃を仕掛けて来た。 先主はこの攻撃を盰眙(くい)・淮陰(わいいん)の地で防いだ。 曹公(曹操)は先主を「鎮東(ちんとう)将軍」として上表し、宜城亭候(ぎじょうていこう)に封じた。 この年が建...
2019-05-07T23:35:00+09:00 2021-06-11T11:00:59Z
本文訳 袁紹が公孫瓚を攻めたとき、先主(劉備)は田櫂と東へ進出し斉の地に駐屯したが、曹公(曹操)が徐州を制圧。徐州の牧である陶謙は使いを出して田櫂に危急を告げた。田櫂は先主とともに陶謙の救援へ向かった。 このとき先主が率いていた兵は、私兵数千あまり、幽州の烏丸(うがん...
2019-04-16T00:54:00+09:00 2020-04-22T13:37:02Z
本文訳 二十歳にして考廉で挙げられ(出世コースに乗り)、郎(官吏見習い)となった。※ 洛陽北部の尉(警察部長)に任命された後、頓丘の令(県知事)として昇進したが、中央に戻され議郎(中央高官)の地位を拝した。 光和の末(光和7年)、黄巾乱が起きた。 騎都尉(近...
2019-02-03T12:52:00+09:00 2021-07-23T22:01:09Z
現代 諸葛亮 世間話
移動しました。 ※現代政治話あり。中国大陸から閲覧している方はクリックしないようお気を付けください。 ⇒ 諸葛亮は、現代中国人(若い世代)にはどう思われているか?
2019-02-03T01:05:00+09:00 2020-04-22T13:38:03Z
諸葛亮 蜀志
本文訳 (養父の)諸葛玄が死ぬと、亮は農作をして自給自足で暮らした。※1 この頃、亮は『梁父の吟(りょうほのぎん)』という歌を好んで歌っていた。※2 亮の身長は八尺(184センチ)※3、つねに自分を管仲・楽毅※4 になぞらえていたが、当時彼の周囲にいた人々は認めな...